バイオグラフィー:イタリアン・ホラーの巨匠。映画プロデューサーの父親とカメラマンの母親を持ち、幼少から映画製作に興味を抱く。高校時代から映画雑誌に映画評を投稿し、卒業後はローマの新聞「パエーゼ・セラ」の映画批評を担当。セルジオ・レオーネ監督の「ウエスタン」(69)原案をベルナルド・ベルトルッチと共同執筆して以降、マカロニ・ウエスタンや戦争映画の脚本を執筆する。1969年、「歓びの毒牙」で監督デビューを果たし、「4匹の蝿」(71)や「サスペリア PART2」(76)などのメガホンをとる。ホラー映画「サスペリア」(77)のイタリア国内での大ヒットで名匠としての地位を確立した後、「インフェルノ」(80)でハリウッドに進出し、「フェノミナ」(84)や「オペラ座 血の喝采」(88)などを発表。ジョージ・A・ロメロ監督作「ゾンビ」(78)の監修・音楽や、「デモンズ」シリーズなどの製作でも知られる。「サスペリアPART2」の主演女優ダリア・ニコロディとの間に生まれた次女アーシア・アルジェントはイタリアを代表する女優として活躍する。