街の子 1924 -
概要概要:連鎖劇の撮影、記録映画や教育映画などを手掛けていた東京シネマ商会(代表芹川政一、東京小石川に本社)が、劇団新劇協会の主宰者・畑中蓼坡を監督にして製作した社会教育映画。畑中は新劇の演出家兼俳優であったが、監督デビュー作『寒椿』(1921年国活製作、主演:井上正夫、水谷八重子)が好評を博し、これが二本目の監督作品。サーストンの小説「少年僧正」を野村愛正が脚色し、夏川静江を主役に抜擢。静江は当時満14歳、新劇では名子役として数々の舞台を踏んでいたが、映画の主役は初めて。舞台では、メーテルリンクの「青い鳥」でミチル役を何度も演じて、10歳の時、チルチル役の水谷八重子と共演したことがあり、その時の演出が畑中だった。映画『街の子』は、1923年9月の関東大震災の翌年、まだ復興途上にあった東京で撮影された。キャメラマンの白井茂は、当時東京シネマ商会の専属で、大震災直後の惨状を撮影して記録映画に残したが、この映画の中にも被害の跡が写されている。映画の内容は、少女の愛情によって不良少年を更生に導く話である。静江の実弟夏川大吾(後の大二郎)も出演し、また、畑中の新劇協会に在籍していた女優で、すでに松竹映画に何本か本名で出演していた三浦しげ子が、この映画では伊沢蘭奢の芸名で出演。蘭奢が「マダムX」の芝居で大ブレークするのは、4年後の1928年春で、急死したのは同年6月だった(享年38歳)。夏川静江は、1927年日活京都に入社し、立て続けに映画出演して、スター女優の道を歩んでいく。
コメント